台東区にある書道博物館に行ってきました!
こんにちは! こちらに来ていただいてありがとうございます。
東京都台東区になります書道博物館に行ってきました!
書道を習っている人にはこちらに行ってみることをお勧めします!
場所もJR山手線の鶯谷から徒歩5分で、正岡子規の東京の家のはす向かいにあって文学にあふれる町中にあります!
行っていない人はぜひ行きましょう!
書道教室に通うだけでは、知識が広がりません。
ぜひ、自己学習をしていきましょう。
入場料は500円です!
他の博物館・美術館と連携しているので、うまくチケットを購入することで少しは安くなるようです。
ひっそりとした閑静な住宅街の中にあります!
1.展示品がとても多いですね!
書道博物館の中の様子ですがたくさんの作品がおいてあります。
見応えがあります。
中国の作品も多いし、日本の作品も非常に多いです!
教科書で見たことしかない、甲骨文もあります。
この甲骨文聞いたことはあるけど、なんだったかなと思い調べてみました。
中国では遠い昔、カメラの甲羅を使って占っていたというものです。簡単に言うと、古い亀の甲羅ですね。
中国・殷(商)時代の遺跡から出土する古代文字。 漢字の原初形態であり、現在確認できる漢字の最古の祖形を伝えている。 古代中国で生まれ発達してきた文字(漢字)と獣骨を用いる占卜とが結びついて文字記録となったものである。 亀甲獣骨文字、甲骨文ともいう。
Wikipediaより
日本以外でもたくさんある
中村不折さんが私費で集めたものが多いです。この方は書道家として有名で、新宿の中村屋の題字もこの方がしています。独特の字でたくましさがあります!
中村不折さんの題字は今も新宿の中村屋カレーで使われています。
中村不折さんの略歴
父・源蔵、母・りゅうの子供として江戸の京橋八丁堀(現中央区湊)に生まれ幼名を鈼太郎といった。1870年には明治維新の混乱を避け、一家をあげ父の郷里の長野県高遠に帰る。幼少より絵を好み、物の形を写すことを楽しみとした。19歳の時、北原安定に漢籍、真壁雲卿に南画、白鳥拙庵に書を学ぶ。西高遠学校授業生(代用教員)となる。21歳の時、西伊那部学校の助教となる。22歳の時、飯田小学校で図画・数学の教師となる。担任生徒に後の菱田春草、樋口龍峡がいた。[1]夏期休暇を利用して河野次郎に洋画の初歩を学ぶ。
1887年4月に上京し、高橋是清の館に住み込みながら,画塾『不同舎』に入門。小山正太郎に師事し絵を学んだ。25歳の時、第2回明治美術会展覧会に水彩画3点を出品。1891年油彩画を始め、現存する最初の作例「自画像」を制作。28歳の時、第5回明治美術展覧会に「憐れむべし自宅の写生」ほかを出品、、、。
Wikipediaより
中村屋 純欧風ビーフカリー コク深いデミの芳醇リッチ 180g
2.有名すぎてわからない
事前に勉強していくのがいいと思います。
NHK高校書道の中で古典作品について解説シーンがわりと出てきます。それが、この台東区にある書道博物館のことです。あのこちらを見て、予習をしていくことをお勧めします。
これが一番わかりやすいかなと思います。
3.常設展ばかり!
時々特別展てきなことをしてくれています。
しかし、ほとんどが常設展ですね!
たまにいくといいと思います。
斜め向かいに子規庵がゆっくりできると思います!
有名だけど解説をふやしてほしいです。
古典等で九成宮醴泉銘ょをならっていればそこから作品の良さがわかります。
ある人の話では、中国で芸術品を保管すると危険なので、日本で保管しているのもよくあるそうです!
そのほうが確かに安全かもしれません。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。